田舎で保育を考える (入船保育園父母会OB 2002年 Mさん)

田舎で保育を考える (入船保育園父母会OB 2002年 Mさん)

 

田舎で保育を考える(上)

 

2002/8/26

 

皆さん、こんにちは。1995年から7年間、保育フォーラム(およびその前身)で活動してきたMと申します。今年4月に、足掛け19年住んだ浦安を離れ、長野県北佐久郡北御牧村という人口5千人の小さな農村に移住しました。その時のいきさつなどは追々記すことにして、今回は「田舎で保育を考える」という題材に従って、当地の保育の実情などをご紹介し、皆さんの活動に何らかの形で資することができればと思います。むろん所詮はOBの戯れ言、お気楽にお付き合い下さい。

 

都会の保育の方が先進的に決まってる?さて、長野の保育を紹介するとまくし立てておきながら、まずは時計を昨年の11月に戻すことをお許し下さい。浦安で凡庸にも「田舎の保育」に不安を抱いていた私は、千葉県保育問題協議会(保問協)の主催する「保育キャラバン」に参加するに当たって、いつもの浦安→市川→船橋コースではなく、郡部中心のコースを回らせて欲しいと願い出ました。

 

保育キャラバンとは、保問協のボランティアが手分けして自治体を回り、約1ヶ月かけて県内の全自治体の子育て家庭課と懇談するという行事です。自治体の人事異動、体制、考え方の変化などを察知し、早めに対応を考えるのがその主たる目的ですが、当然、私の関心はそれだけではありませんでした。

 

私に割り当てられてきたのは、茂原市→長柄町→長南町→睦沢町という外房の農村コースでした。茂原だけは人口10万人弱ありますが、あとは6千人から8千人程度の小邑ばかりです。これなら北御牧村と変わらず好都合。私が、都会人ならではの偏見で、「どんな悪条件で保育が行なわれているかこの目で確かめ、移住した時の心構えとしよう」というスタンスで臨んだことは言うまでもありません。

 

コミュニティーによる保育そんな私の偏見は、一日にして雲散霧消の結果となりました。郡部(町村)とくれば、予算は少なく、人材にも乏しく、国への依存度が高い、と言うのが定説でしょう。しかし、マクロ的(平均的)にはそうだとしても、部分がすべて全体の縮図となっている必要はありません。私が訪れた外房の三つの町は、いずれも保育を「コミュニティーの責務」として捉え、保育料を低く抑えるために、町民合意の元、予算を厚めに配分していたのです。私が感じた驚きを皆さんに共有してもらうために、保問協に提出した私のメモからいくつか抜粋してみます。

 

「都会の人は国の保育に期待しすぎている。」最初のこの一言で、保育に理解のない課長かと思ったが、真意は「国がやらないのを言い訳にして狭い園に子供を詰め込んだりせず、町は町として保育に情熱を傾けるべき」という、逆の発想だった。実際に、県内最低水準の保育料で、都会に引けを取らない条件(保育時間、設備)を提供しているこの町は、限られた予算であっても自治体が傾斜をかければ、それなりのことができることを示している。都会の保育の方が先進的だと信じ込んで参加した私は、猛省を迫られた。

 

新しい町長は保育を重点項目にして当選しており、自らも孫を保育園に送り迎えしているとの事で、大変羨ましい。保育士さんともよく話をするので、一般の父母よりも保育園の問題点をよく知っているそうだ。首長本人が、女性の社会進出という時代の変化の中に身を置き、実践していることの意義は大きい。いや失礼。元来、日本の農村社会では女性が重要な働き手である。

 

「専業主婦」なる現象は、1960年代以降の都市俸給生活者の増加で始めてもたらされた一時的なものなのだ。我が自治体(浦安)の市長は、表向き保育に熱心と言うが、他にも熱心なことはいくつもあるだろうし、自分とその一族の生活が専業主婦に支えられているのでは、そもそも保育のイメージが湧かないことだろう。

 

この町では保育士の方々がミーティングに参加した。「地元の理解ある地元の保育(町内に幼稚園はない)」を実践しているので、保育士の方々の町内での存在感も大きく、明るさとプライドが感じられた。都市部での詰め込み保育の実態など話して、町長から県に対して要請書を出して欲しいと頼んだが、自分たちの実態とあまりに違うので、難しいとの返事。ただ、「皆さんが都市部で運動してくれているお陰で、我々にも間接的な恩恵があると思っています。ありがとうございます。」という謝辞は貰った。

 

霞たなびく夕暮れの農村には、赤紫色のスクリーンがかかり、焼けた藁のかすかな臭いが冷気と共に鼻孔を刺激します。外房周遊キャラバンは、長年保育活動に参加し、少しは通になったと勘違いしていた私にとって衝撃的でした。

 

国が保育に積極的に関与して、保育活動の地位を向上させ、保育水準を引き上げる努力をすることの必要性は、今さら述べるまでもないことですが、「国がどうしようとも地域の保育を守る」という意志において、都会は郡部から学ぶことがあるのではないか、と思ったわけです。

 

「地元の理解」という側面で、浦安の方がかなり遅れていること、そして我が国と西欧先進国との違いは、国家の姿勢の違いだけではなく、保育を積極的にバックアップする無数のコミュニティーの違いでもあると気付くことになりました。結局のところ、声高に叫ぶだけで、いい保育が天から降ってきたりはしないんだと直感しました。

 

「保育サービス」という言葉をよく都会人は好んで使っています。私も「保育サービスの質と量を向上させて下さい。」と対市交渉してきた一人です。しかし、そういういかにも商品的な名称を付けていること自体が、「じゃあサービスを民間に委託しよう。」「数値的条件をここまで満たせばOK。」と言う判断を生む元になっているとも言えますし、他の代替可能な「サービス」と同格に置かれてしまう原因を作っているような気がします。

 

田舎の人は「保育サービス」とは言わず、当たり前のように「地域の子育て」と言います。苦しい予算の中、お金を重点配分するには、地域の未来を支える人材を育てるという根本的な理解が必要です。それは「子育て」と思うからこそ可能なのかも知れません。

 

同じ地方でも、都市になると話はかなり違います。外房最大の都市である茂原の市役所では、浦安同様、慇懃で卒のない課員の人たちから「保育業務」という言葉が何度も飛び出しました。「サービス」は大きな役場から見ると「業務」なのだ、と納得した次第です。すべてが役場から至近距離にある、小さい自治体が有利なのはこの点でしょう。おやおや、今回の話は千葉県だけで終わってしまいました。次回こそは当地長野の小村の現状を、内部からお伝えしようと思います。

 

 

田舎で保育を考える(下)

 

2002年8月26日

 

前回は、長野の話をする上でのフレームワークを提供するために、千葉県の郡部(長生郡)を訪れて、各役場の保育担当課と交渉した時のことを書きました。そこで得たのが、「小さい自治体の方が、地域の子育てを支える意志と合意を持ち、良い意味で国に頼らない、自分たちの充実した保育を実践しているのではないか」という仮説でした。さあ、今度は自分が村人になり、実際に保育を体験し、確認する番です。

 

北御牧村立中央保育園人口5千人の北御牧村には、保育園が2つあります。私が、2歳児の次男を預けているのは、「中央保育園」で園児数は80人弱。猫実保育園よりちょっと少ない人数に、入船保育園より2割方大きい園庭があります。園舎は鉄筋の平屋建てで、園庭をコの字に囲むように配置されていますから、どの部屋からも園庭に飛び出すことができます。背後は里山です。こうした余裕は、誰にも分かる郡部の利点でしょう。

 

村には公立私立を問わず幼稚園がありません。幼稚園を希望する人がいないわけではなく、多くは近隣都市に車で送り迎えしています。よく田舎では保育園が幼稚園を兼ねていると言われますが、確かに以上児は園児服を着るのでそう見えるものの、あくまで「保育に欠ける」子供しか保育園には入園できません。

 

保育時間は、7:45〜19:00で、8:30以前の保育には一回50円、16:30以降の保育には一回100円の追加料金(月額まとめ払いで割り引きあり)が掛かります。私が18:30頃迎えに行くと、その時点では他に2-3人の子供が残っています。田植えの時期には30人以上はいましたから、繁閑の大きい農業地域に合わせた料金体系になっていると言えます。

 

因みに、息子の保育料は、時間外を除くと月額2万6千円です。安いと思います。給食は、未満児はいわゆる完全給食ですが、以上児になると主食(ご飯)は持ち込みになります。

 

これも、浦安の昔を思い出すような話ですが、村が県内有数の米作地域であり、自宅の米はただみたいなものだが、村が業者から買えばお金がかかるという事態を反映したものだと思います。(米作農家の比率は年々低下しているが、村内では近所同士、親戚同士で個別契約して、市価より随分と安い料金で米を調達している。うちも入れて〜。)

 

最初は、ええっー後進的、と思いましたが、考えてみれば我々の基準は都会の基準であり、スイスの山奥にも、ノルウェーの漁村にも、それぞれ個性的な保育があることを思い出して、むしろそれぞれの地域の特性を生かして、お金を節約するのは善だと思うようになりました。真面目な土地柄ですから、朝は皆さん、苦にもせずお米を炊いているのだと思います。(うちは来年できるか?)

 

都会との違いは、送り迎えにも表われます。まず、視診表がありません。つまり、ここまでが親の責任、ここからが園の責任という境界が曖昧です。最初は不安でしたが、地域の結びつきが強く、みな顔なじみなので、神経質になっていないのです。

 

また、未満児であっても、当人がしっかりしていれば、村営バスに乗って一人で園にくることが認められています。バスの運転手さんもポストマン・パット(チト古い?)のような人たちなので、園の停留所で迎えの先生にきちんと引き継ぎます。このあたりが、地域で子育てするという感覚の片鱗でしょうか。親が孤立している都会では、自分の子の安全を守るのが、一種の闘争であるのに比べると、随分と穏やかな感じがします。

 

また、引き渡しに関して園がいい加減ということではなく、時間外保育の時間帯であっても、正規保育士1名とアルバイト先生だけが残るのでなく、ほぼ毎日、園長先生が残っていて、親の顔を見ながら挨拶してくれます。園長先生が最後を見届けて、鍵を閉めて帰ると言うのは、何とも言えない安心感ですね。浦安と違って、園長先生が保育士出身なので、なおさらです。

 

保育士と父母が明確に区分され、ある意味で緊張関係にあった浦安と比べると、地域の人間同士がたまたま二手に分かれているだけの小村では、あまり「あちら」「こちら」の意識がありません。行事をする度に、ここまでは園、ここからは親と、境界線を争うこともなく、善意をベースに皆で子育てしている感じです。(浦安でも、学童の一部にこんな地域集団的な雰囲気が残っていましたが。)

 

タオルやコップをセットする必要もなく、各自のカバンに入れておくだけでいいのも、その一つの証です。「(親があえてセットしなくても)必要なときに出して使うだけのことですから」とこちらの先生は言います。前述のとおり、視診表もないので、送っていくと部屋の入口で「バイバイ」と言って押し出すだけでおしまいですから、それはあっけないものです。

 

プールセットも一週間は持ち帰る必要がありません。「どうせ園のタオル類を洗濯するので、一緒に干しますから」ということです。反対に、できないことはできないと言う点もはっきりしています。平屋なので、昼寝の布団を干すのに適したテラスはありません。ですから月に一回は、親が布団を持ち帰って、天日干しをします。週末の天気予報が良い時を狙って、「今週は持ち帰り」の指示がでますので、無駄はありません。

 

また、園の行事に、親は積極的に協力します。園が善意でいろいろとしてくれることもあり、父母会は、概して園に対して協力的です。ただ、毎年要望事項は出しており、例えば、園近くのバス停に先生が交代で出迎えるようになったのは、今年からだそうです。

 

長野県はどこへ行く住めば都、の喩え通り、こちらの生活には大変満足しています。特に、保育に関しては、上記のような違いに当初はとまどったものの、当地は当地なりの合理性を有する制度になっており、都会から移ってきた身からしても不満はありません。むしろ、千葉の郡部で見聞した「子育ては地域で」という発想は、距離を隔てた当地でも、似たような形で残っていると感じます。

 

かつて入船保育園で、内装の汚れが目立つので、父母のボランティアでペンキ塗りをして、子供達にも手伝わせて、良い経験をさせようと言う提案をしたことがありますが、園からは公的建造物ではそんなことはできないと却下されました。

 

しかし、今、札束で問題を解決するという能力を失った日本の自治制度において、公的事業の質を維持し向上させて行くには、当事者全員が「工夫」するしかありません。父母と保育士が対立し、工夫の芽を摘んでしまうと、行政は市場原理でコスト削減という、あまり有り難くない方向へと進んでいってしまいます。

 

必要なのは、父母による「積極的関与」に違いありません。今、長野県は知事選挙で揺れています。長野県には、錯綜する二つの思想があると思います。それは、今でも君が代ではなく県歌「信濃の国」を歌うというような行動に表われた、山国ならではの独立自治の気風と、国からお金を一円でも多く取ってきて、大きな公共事業を次々に行なうという親方日の丸の気風です。

 

「脱ダム」が争点になっていないことから分かるように、今回の知事選の本当の軸は、東京人の言う改革・反改革の対立ではなく、昔からあるこの二つの気風のいくぶん抽象的で観念的な対立だと思います。「独立自治の長野」と「国(中央官庁)から嫌われない長野」のどちらを志向するか、と言い換えても良いかも知れません。

 

田中県政になって、官庁の方針を遵守しないことが多くなり、国交省からは「県が一つ減った」などと言われています(ケシカラン話です)。県政の改革は有り難いが、お上に睨まれたら長野はおしまいだ、と焦っている従順な県民も少なくありません。

 

いずれの候補が勝つにせよ票差は大きくなく、二つの思潮の対立はまだまだ続くように思います。この地方に残る共同体的な発想は、長年の思考と努力の結果として得られたものではなく、多分に偶然に過去から引き継がれたものでしょう。田舎の保育は支え合っている感じがいいね、と私が思っても、当地の人は特別それを有り難く思っていないのかも知れません。

 

せっかく小さい村で、自治のお手本のような行政ができるのに、国からの一回きりの特別補助金をもらうために、近隣町村と合併して中途半端な「市」を作る動きが、最近盛んになっています。村会議員は「合併すると補助金が増える。合併しないと国から睨まれて、補助金が減る。」と口々に弁解します。

 

これも長野県の一面なのです。自治体が大きくなると、国からのお金のバラマキはスムーズになりますが(取り合い、陳情合戦が減る)、ミクロレベルの工夫はしづらくなるわけで、地方分権の進んだ国こそ最小自治体は小さく、独自の徴税権を持って国を頼らないのです。(日本では自治体を大きくするのは地方分権のためという心にもない説明が横行していますが、国は肝心の徴税権を委譲するつもりはありません。)

 

当地でも、親がペンキ塗りをさせて貰えなくなる日が来るのは、そう先ではないかも知れません。これに限らず、きっと日本各地の保育現場ではいろんなことが起こっていると思います。ここでの私の体験が、直接皆さんの活動の参考にはならないにしても、何らかの思考の糧になったとすれば幸いです。また、お会いしましょう。お元気で。

 

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